Special Report レポート

2015年10月11日(日)いずみホール
「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」レポート

Reported by Ken Okubo

 舞台上では端正さの中にも艶のある音を奏でるヴァイオリンにピアノが絶妙の合いの手を入れ、妙なる調べを紡ぎ出していた……が、あるとき、我が目を疑う。急にピアニストが立ち上がり、それまで弾いていた反復音型を譜めくりの人に託して去って行くではないか!しかも、ヴァイオリニストも演奏しながら軽やかな足取りで後に続く。「成田達輝&萩原麻未デュオリサイタル」、最初の演目での一齣である。
 この予想外の「劇」には正直かなり驚いた。ちなみに演目はルクレールの《12のヴァイオリン・ソナタ》作品9の第3番ニ長調。その終楽章は舞曲「タンブーラン」で、再び舞台に姿を現した演奏者たちによれば、「小さな町の音楽隊が、演奏しながら町を端から端まで歩き、そのうち遠ざかっていく様子をイメージしていた」とのこと。なるほど!それは十二分に説得力のある解釈だ。もちろん、そこには聴衆を楽しませようとの意図もあったことだろう。だが、そうした「もてなし」の心が映えるのも、演奏が高度の技量と音楽性に裏打ちされていればこそ。そして、2人の演奏家は最後までそのような音楽を聴かせ、魅せてくれた。

 演目には新旧のフランス関連の作品が並ぶ。前半ではルクレールに続き、フランクの《ヴァイオリン・ソナタ イ長調》が、そして、後半ではプーランクの《ヴァイオリン・ソナタ ニ短調》FP119、サティの《右と左に見えるもの(眼鏡なしで)》、それにミヨーの《屋根の上の牡牛(ヴァイオリンとピアノのためのシネマ・ファンタジー)》作品58bが取り上げられた。硬軟織り交ぜた選曲はなかなかに楽しく、しかも、曲の合間に演奏者たちによるそれぞれに味わいのある解説が入る。

 とりわけ深く印象に残ったのは、前半2曲目のフランクのソナタ。萩原はあたかも「問いと答え」の如くに冒頭の音型を奏でる。そして、このたった数小節で「この先、いったいどうなるのだろう!?」と期待が瞬時に膨らむが、果たしてそれは裏切られなかった。ちなみにこのソナタのピアノ・パートは、作曲者がこの楽器の名手だっただけにまことに手が込んでいる。下手をするとヴァイオリンを食いかねないほどに。その点、萩原は存分にピアノの名技を存分に発揮しつつ、ヴァイオリンとの対話を巧みにこなす。他方、成田もそうしたピアノとの駆け引きを心得ており、2人は山あり谷ありで見せ場の多い(がゆえに、「道に迷った」演奏も少なくない)この作品で感動へと導いてくれる。ともあれ、このソナタを聴き、すっかり萩原麻未という比類のないピアニストのファンに(もちろん、成田達輝という優れたヴァイオリニストのファンにも)になってしまった。

 その他の演目もそれぞれに見事な演奏だったが、最後のミヨー作品はひときわ刺激的。ブラジル音楽やジャズが谺するこの曲には「ノリ」の良さが求められるが、2人の演奏にはその点でも唸らされた。旋律を臆面もなくねちねちと歌い込み、アクセントを利かせ、緩急を存分に付けるなど、酒場の楽師さながらにヴァイオリンを奏でる成田に対して、萩原も負けじと応酬する。彼女の場合、音はもちろん、演奏する身体の動きから音楽への「ノリ」と没入ぶりがひしひしと伝わってくるのが面白い。これは実のところ、他の演目についても言えることだ。音楽が内からわき上がってくる人――萩原の演奏を聴き、そのさまを見て、つくづくそう感じる。他方、成田からは逆に、外にある音楽を鋭敏にとらえる人、という感じを受ける。そして、その資質の違いがこの2人のデュオをかくも刺激的なものとしているのではないだろうか。
 ともあれ、実に楽しい演奏会であった。そして、今度は萩原の独奏を聴いてみたいと強く思う。彼女ほどのピアニストの演奏ならば何でも聴いてみたいところだが、たとえば、アルベニスの《イベリア》などを取り上げてくれると個人的には嬉しい。

大久保 賢