Special Report レポート

「蘇ったスタインウェイをもう一度弾きたくて」

Reported by Nami Demizu

2012年11月、パリから一時帰国した萩原麻未さんは東京、広島、岩手、宮城、島根、大阪などでコンチェルトやリサイタルを行いました。そしてフランスに戻る前日、麻未さんが「どうしても、もう一度会いたい」と足を伸ばした場所がありました。

「奈良・桜井高校に眠る名器との出合い」

大阪駅から電車で1時間余りの奈良県桜井市。豊かな自然に囲まれたこの街の中心にある県立桜井高校で、古びたスタインウェイが見つかったのは約2年前のことでした。調べてみると、1924(大正13)年にドイツ・ハンブルグから運ばれた名器。なのに、校舎改築の際に音楽準備室に移されて40年も放置されたまま。「当時の美しい音色を再び」と願った先生や生徒、卒業生の思いは一つになり、スタインウェイピアノのための寄付が集められました。2012年2月、修復を終えたピアノはピカピカに輝く姿で学校に帰ってきたのです。

「どうか彼女に魂を吹き込んでください」。1通のメールが麻未さんのもとに届いたのは、ジュネーヴ国際ピアノコンクール優勝後しばらく経ってからのことでした。添付されていたのは、鍵盤の塗装も剥がれ落ちた痛ましいピアノの写真。麻未さんは、そのメールに一気に吸い寄せられたそうです。「差出人はテレビでコンクール優勝の報道を見て私のことを知って下さった、桜井高校の体育の先生でした。ピアノのことをしきりに“彼女”と仰っていて、メールから愛情があふれていました。こんなに素敵なお話はなかなかないとすっかり魅了され、ぜひ弾かせてくださいと返信したんです」と麻未さん。そして2012年3月。学校の敷地内にある講堂で寄付をした卒業生たちを前に、蘇ったピアノに魂を吹き込むべく心を込めて演奏しました。

「先生たちの笑顔、ピアノに再会したい」

あれから8か月。ツアーを終えた麻未さんは、再び桜井高校に向かいました。今度は自分の意思で、「もう一度弾かせてくれませんか」とお願いしていたのです。「ピアノに対する先生方の熱意、地域のみなさんの温かさ、古いスタインウェイの魅力にまた会いたくて。ピアノがいろんな方に弾かれてどんな変化をしているのか、それを知るのも楽しみでした」。先生方と話し合い、2度目のコンサートはピアノを習っている地域の子どもたちを対象にすることに決めました。

2012年11月25日。明治時代に建てられた風格ある木造の講堂に、小学生から高校生、保護者、桜井高校の先生たちが集まりました。演奏前に珍しくマイクを手にした麻未さんは「人前で話すのはうまくないけれど…」とはにかみながら語り始めました。小さい頃、広島の実家の近くで飼われていた子犬ケンケンが走り回る様子を見てショパンの『子犬のワルツ』のイメージを膨らませたこと、家族にせがまれておうちでよく弾いたのがショパンの『ノクターン第2番』だったこと、どうしても好きになれない『ツェルニー』の教則本をかばんに隠したまま先生の前でショパンのエチュードに挑戦しようとして「まだ早い」と注意されたこと。ほのぼのした思い出話を交えてプログラムを解説した後、再生したピアノの表現力を目一杯引き出すように演奏を始めました。もともとこのピアノは講堂に置かれ、当時の女学生が大切に弾いていたといいます。飴色に黒光りする講堂の床や壁の木は、往時の音色もよく知っているはず。麻未さんの奏でる心のこもった音色を、きっと懐かしい思いで吸収したことでしょう。

「私の役目は音楽の魅力を伝えること」

この「子どものためのピアノコンサート」で、麻未さんは人生初、公開でのワンポイントレッスンをしました。聴きに来た子どもたちが学習中の曲をスタインウェイで演奏。譜めくりをしながら聴いていた麻未さんは、「これはポーランドの舞曲だけどポーランドの踊りって知ってる?」と言って実際にステップを踏もうとしたり(すぐに「やっぱり踊れない~」と笑っていたけれど)、「それはフランスの舞曲。音楽と言葉は密接だからフランス語をイメージするといいよ」と言って使い慣れたフランス語を披露したり。ストーブが必要なほど寒い1日だったけど、講堂はほんわかした温かい空気に包まれました。

「音響の整ったコンサートホールで弾くのも素晴らしいけれど、弾く人と音楽、聴いてくださる方の三つがそろえばどんな場所でも同じだと思うんです。桜井高校で初めて弾いた時は80歳を超えたおばあちゃんが聴きに来て下さったり、今回は子どもたちが聴いてくれた。クラシック音楽になじみのない方がいらっしゃったとしても、本当に素晴らしい音楽や演奏であればその魅力はきっと伝わると思うんです。ここで弾くことにすごくやりがいを感じます。ピアノも音色が多彩になっていることが感じられて嬉しかった」。麻未さんはしみじみと語っていました。

「ただ今、ザルツブルクで勉強中です」

コンサートを終えると、緊張から解き放たれた麻未さんの笑顔も満開。すっかり仲良しになった先生たちが差し入れてくれた甘い柿を頬張りながら、近況を教えてくれました。

「前々からドイツ語圏に興味があって、今年9月からザルツブルクの音楽院で勉強しているんです。今はまだ話せないけど、ドイツものを弾く時にドイツ語のリズムや響きが役に立てばいいなと思って。せっかくモーツァルトが生まれた街なのでモーツァルトの音楽ももっと深く学びたい。
 本番の経験を積んでいくことも大切だけれど、勉強する時間を確保していくこともとても大切だと思っています。
 もちろん、桜井高校からまたお話があれば、喜んで行きます!校庭にきれいな桜の木があるんですって。次は桜が咲く頃がいいな」

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